scoop

「それジャア、すぐにおツクリしマス」
「ああ」
ぼくの掌をじっくりと観察していた彼が、すべて分かったと言わんばかりに立ち上がる。にこにこ笑いながら厨房に消えていくコックコート姿の彼に一言返事をしてから、ぼくは持ってきた文庫本に視線を落とした。
海外で原画展を行ったのは大分前だったが、あれ以来あちらの出版社からお呼びがかかることが増えた。漫画以外の依頼に関してはすべて断っていたのだが、それでもいくつか引き受けざるを得ない仕事もある。ぼくとしても海外のファンも日本のファンも同じ読者であることに違いないので、取材および観光も兼ねてあちらに赴くことは嫌ではなかった。
ただ、そうするとどうしても家を留守にする期間が長くなってしまう。わりと自由がきく一人暮らしではあるものの、うるさい犬みたいな奴を飼っている立場としては少々面倒なこともあった。
『へへ、明日帰ってくるんスよね?』
ふと昨日の会話が蘇る。毎日のように電話をかけてきては、少ない小遣いから国際電話の代金を払っているのだから切るなとわけの分からない脅しをかけてきたスカタンは、嬉しそうにそんなことを喋っていた……ような気がする。どうせあと数十時間後には帰国するのだからそのときにまとめて話せと切ってしまったので、詳しい内容までは覚えていないけれど。
あの男が、今晩うちに押し掛けてくるであろうことはもう分かっていた。あの電話で、遅くなるかもしれないが今日の夜には帰れそうだと予定を伝えてあったからだ。実際には少し早い飛行機が手配できたので、こうして予定よりも早く戻ってくることができた。もしもぼくが予定よりも早く帰ってきたのだと一言いえば、アイツはすぐにでも飛んでくるだろう……けれどわざわざそんなことを伝えるというのは、早く家にこいと言っているようなものだ。誰がそんなことを言ってやるものか。
――まあ、そう思いながらもここに来ている以上は似たようなものだと思うが。
どうせ今夜はろくに眠れそうもないから、せめて盛りのついた犬を相手にできるだけの体力を回復させたい。そんな考えもあってここにきた。出発前に冷蔵庫の中身をほぼ空にしてきたからとか、家に食べるものがないなんていうのはあくまで建前に過ぎない。絶対に、誰にも言うつもりはないけれど。
「お待たせシマシタ」
そんなことを考えているうち、前菜が運ばれてきた。結局、開いてはいたものの本の内容なんて全然頭に入ってこなかった。気になっていたトリックも、解明されないままだ。けれど冷たいものは冷たいうちに食べるべきだと文庫本を閉じて、フォークを手に取った……そのときだった。
「トーニーオーさ〜ん! なんかスグ食えるモンを……って」
バタンと思い切りドアを開けて、見知った顔が飛び込んでくる。行儀のなっていないやつだと思うよりも先に、時代遅れの髪型と日本人離れした立派なガタイをしたそいつがぼくの名前を呼ぶほうが早かった。
「露伴!? アンタ、コッチ帰ってくんの夜中って――」
「うるさい奴だな。バタバタ暴れて埃をたてるんじゃあないよ、ぼくは食事中だぞ」
まだ何か言いたそうな仗助を無視して食事を口に運ぶ。当たり前のように同じ席に座った仗助をしかめっ面で睨んでやれば、あちらの顔も険しいものになる。その顔を見てようやく日本に帰ってきた実感が沸くというのもおかしな話だが、まあ……そういうことなんだと思う。
「そりゃー失礼したッスねェ。っつーか露伴、帰って早々トニオさんの料理食べに来るなんて、どっか悪ィんスか?」
「いいや。流石に少し疲れたから、それが解消できればいいと思っただけだ。だから料理もほとんどが普通のオーダーだしな」
メニューがないとはいえ、あれが食べたいこれが食べたいと言えば大抵のものは作ってくれる。とはいえこの料理は何の効果もありませんがといちいち確認されるのは、少しばかり面倒ではあったけれど。
食べるだけで体が健康になるという料理の効能を利用させて貰ったことは一度や二度ではない。しかしここに来るのはそれが目的というよりも、ただ単純に美味しい料理を食べに来ているといったほうが正しいような気がした。そもそも規則正しい生活を送るぼくとしては眼精疲労とか肩こりの緩和だとか、疲労回復くらいしか効果がないということもあるのだが。
「仗助サンもコースでよかッタデスか?」
「いや〜その、また金欠なんで、いつも通りで……あっ、体調は万全なんで大丈夫ッス!」
へへへなんて笑うコイツにため息しか出ない。金欠のくせにいつものとはどういうことなのかとか、母親はどうしたとか、金欠なら大人しく自分でメシの用意くらいしろと言いたいところだが……昔うちのフライパンを元々は卵だったはずの炭でコーティングしてくれたこの男がろくなものを作れるとも思えなかった。
「しけた奴だな。トニオさん、こいつにもぼくと同じものを」
「えっ?」
目をまん丸くして驚いている仗助を無視して、最後の一口を頬張る。ハーブの香りが疲れで落ちた食欲を増進させてくれる気がした。フォークを置けば、何も言わずとも『お下げシマス』と腕が伸びてくる。
「効果はナイですが……マァ、確カニ仗助サンはイツモ元気デスからネ」
「体力だけはあるんだから大丈夫だろ」
空いた皿を手にしてイタリア語で返事をした彼は、すぐに厨房に戻っていった。その間も仗助は驚いたような顔でこちらを見ているだけだ。せめてその半開きの口をどうにかするか、何か喋れ。
「おい仗助、勘違いするなよ。ぼくは別に、お前にご馳走してやろうってんじゃあないぜ」
「へッ?」
「どうせこの後うちにくるつもりなんだろ? 一月近く空けていた家を掃除する手間賃の前払いだ、安心して食っていいぞ」
「……まあ、そんなコトだろうとは思ってたッスけどね」
へらへら笑いながらイイっすよと答える仗助に、そうかいと適当に相槌を打っておく。だが『でもそれって、今晩露伴ちに行ってイイってコトっスよね?』という質問は無視することにした。


それからの食事は賑やか、というよりもやかましいものになった。おふくろが今日集まりでいないだの、テストの結果が散々だっただの……よくもこんなに話題があるものだと感心するほど仗助はよく喋った。それでいて食べるスピードはぼくより早いのだから手に負えない。ぼくがヤツより先に食べ始めていたにも関わらず、仗助のほうが先に食後のコーヒーを出される始末だった。
「このカリカリしたやつ、すげーいいニオイっスよ」
「添え菓子か」
普通それは途中もしくは最後に食べるものだと伝える暇もなく、コーヒーに添えてあった茶色のそれを仗助が口に放り込む。
普通こういった形で添えられるものは丸い小さなものが多いのだが、今日の菓子は四角い記事を丸めたような、円筒状の形をしていた。かりかりと小気味よい音が聞こえてくるのとほぼ同時に、ぼくにもコーヒーが運ばれてくる。
「今日のデザートはジェラートデス。溶けナイウチにお召し上がりクダサイ」
「へ―。そういや億泰とも良く来てっけど、トニオさんトコでアイス出して貰ったのって今日初めてッスよね」
「言われてミれば、ソウダったカモしれマセンね。億泰サンはジェラートがお好きなヨウで、よく注文シテくれてイマスよ」
そう言いながらにこにこと笑う店主相手に、仗助がまた喋り始める。うるさくしてないでさっさと食えとその良く動く口を塞いでやりたいと思ったが、面倒なのでやめた。
そんな仗助を尻目に、スプーンでその冷たい固まりを口に運ぶ。ほんのり黄色みを帯びてはいるものの、てっきりバニラだと思っていたその冷菓は口に含んだ途端、濃厚なチーズの香りが口腔内に広がった。きんきんに冷やされているせいか、乳製品独特のしつこさもない。滑らかなそれを舌の上で溶かしながら優しい甘味を楽しむうち、そう大きくもない器はあっという間に空になっていた。
「オヤ、おしゃべりガ過ぎタヨウです。お二人トモ食べ方を紹介スル前に、肝心の食ベルものガなくなっテしまいマシタね」
「食べ方?」
「ええ。コーヒーに添えてアッタ筒のような添え菓子デスガ、あれはカンノーロという伝統的な菓子なんデス」
彼いわく、カンノーロは本来謝肉祭のときに食べるもので、さくさくとした食感を楽しむためには食べる直前に空洞になっている内部へクリームなどを詰めるのだという。今日は暑いのでジェラートを詰めて召し上がっていただこうと思ったのですが、説明が遅くなり申し訳ありませんとひたすら謝り始めた店主に、単品でも十分に美味しかったから問題ないとだけ返事をした。部屋の掃除は早いほうがいい。
「仗助サンも。チョット時間がカカりマスが、もうひとつ揚げテキマしょうか? モチロンサービスなので、お代は結構デス」
「そーッスか? でもアイスもとけちまうから……って、それ俺のッスよ!」
ぼくのコーヒーに添えてあった菓子を摘まんで、ひょいと仗助のジェラートを掬って口に運ぶ。確かにさくさくとした食感と濃いチーズの香りが絶妙だった。これはいいと半分ばかり残っていた菓子でジェラートをもう一掬いしてから、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている仗助の口に放り込む。
「折角だが、これから大掃除が待っているんだ」
「お急ぎデシタか。それジャア、次に来て下サッたときに今日の分モサービスさせてイタダきマスね」
それだけ告げると異変に気付いているのかいないのか、店主はさっさと奥へ引っ込んでしまう。惚けている仗助にさっさと食えと、溶けかけているジェラートを顎で示した。慌ててスプーンを手に持って掻き込むように口を動かしている目の前の男を見ながら、ぼくもまだ僅かに残っていたコーヒーを喉に流し込んだ。
砂糖なんて入れていないはずなのに、その琥珀色の液体がやけに甘く感じる。少々やりすぎたかとも思ったが、あれだけ騒がしかった仗助が、ちらちらとこちらを見ながら黙々と食べ進めているので、少しくらいはいいかと思うことにした。

End.



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