ひとひらの蝶 (2)

「お、っと」
「承太郎さん、大丈夫ッスか?」
ホテルの机の上を整理している最中、うっかり写真立てを袖に引っ掛けて倒してしまう。
別段写真には問題なさそうなので構わないのだが、片付ける手間が増えたことには変わりない。
「まずいな、割れちまった…それはそうと仗助、ジジイに挨拶はいいのか?」
「いいんスよ!明日の見送りにも行くって言ってあるし、それにイマイチ何を話したらいいのか」
杜王町を発つ前日、知らず知らずのうちに増えた文献などの荷物整理の手伝いに、仗助が俺のホテルの部屋までやってきた。
専門書では読む層も限られる上、アメリカに送るのも一々面倒だ。
こちらで処分するしかないなと思っていたのだが、幸いにも引きとりたいという希望者が現れたので、まとめて譲ることにしたのだが。
「露伴の家に運ぶのはこれで全部っすか?」
「それで全部だ」
仗助を通して漫画家の先生から資料として貰い受けたいと申し出を受けたのは数日前のことだった。
図や写真の多いもの、詳細について細かく記されているものが希望ということで…写真のない論文集などは廃棄することになるが、それでも最初の量を考えれば随分と少なくなったものだ。
「あー…承太郎さん、ガラス粉々ッスよ。写真は無事みてーっスけど」
ガラスの中から仗助が拾い上げた写真は、エジプトに向かう旅の途中で一度だけ全員で撮った記念写真だった。
けれど俺に手渡す寸前で被写体が誰かに気付いたらしく、写真を摘んだ指をなかなか離そうとしない。
「あれ?これ、承太郎さんの昔の写真ッスか?」
「そうだ。ジジイもいるだろう」
返せと催促するように軽く写真を引っ張ったところで、見入っている仗助は全く気付いていないようだ。
「ヘェ〜!あれ、でもこれ…裏に小さいのが、もう一枚…?」
「おい、仗助。父親の若いころに興味を持つのはいいが、力を入れすぎだ。写真が曲がっちまう」
「エッ?いやその、そんなんじゃ…!」
その言葉に慌てて手を離した仗助から、二枚の写真を回収する。
そして床に散らばったガラスを指で示せば、仗助も俺が言わんとしていることが分かったようで。
「写真より、このガラスが問題なんだが…頼めるか?」
「もちろんッス!俺に任せてください」
スッと彼の腕が二重になったように見えた次の瞬間、元通りに直された写真立てがそこにあって。
「そんじゃ、あんまり遅くなるとオフクロもうるせーんで。また明日見送りに来ますね」
「ああ。お前が来てくれて助かった、気をつけて帰れよ」
重い本を軽々と担いでドアから出て行く仗助を見送ってから、綺麗に修復されたそれを拾って使い慣れたソファの定位置へ腰掛けた。
ふと手の中の写真を見れば、あの時代の自分と懐かしい顔ぶれが映っていて。
「やれやれだ…こっちは随分色褪せちまったようだな」
先程仗助に見せなかった二枚目の写真は全体的に白くなり、過ぎた年月を感じさせる。
それは半分ずつに見切れた俺と花京院のポラロイドで、彼が亡くなる直前に撮った二枚のうちの一枚だった。
…結局彼はどちらも俺に押し付けて、自分の手元に残そうとしなかった。
じゃあね、なんて笑いながら帰っていった彼が息を引き取ったと連絡を受けたのは、彼と別れてからわずか六時間後の事だ。
数日後、いまひとつ実感の湧かないまま花京院の葬儀に出席すれば、ふと泣き続けている彼の母親が目に入った。
だからどうというわけでもなかったのだが…なんとなくそうした方がいい気がして、俺は彼と二人で撮った写真を彼女に渡した。
生前友達を作ろうとしなかった彼は遺した写真も少なかったようで、彼の母親はとても喜んでいたし…何より彼がそれを嬉しがるような気がしてのことだったが、今でもそれは間違っていないと思っている。

『承太郎。君の事だから、こんなことを言っても無駄かもしれないが─…』
あの夜、玄関先で帰り支度をする彼に振り向きざまにそう伝えられた。
『僕を覚えていてくれるのは嬉しいし、無理に忘れろとは言わないけれど…出来れば良い人を見つけて、結婚して、幸せになってほしい』
『な、にを…』
『これが最後の約束だよ、承太郎。僕がもし幽霊になったら、君が幸せかどうか…ずっと見張ってるからね』
覚悟しておいてくれと一方的に『約束』を取り付けた彼は帰ってしまい、それきり逢うことは叶わないけれど。

「…花京院」
感傷から彼の名を呼べば、あの日重ねた掌が少しだけ暖かくなったような気がした。






帰国後、小さな娘の手を引いて街路樹の下を歩く。
散歩をするのも辛い季節になったと思っていたのだが、幼い徐倫は寒さより遊ぶことで頭が一杯のようだった。
けれどはしゃぎすぎたのか、歩道の段差に躓いてしまって。
「おい、気をつけろ」
手を伸ばしてもほんの僅かに足りない距離だったので、咄嗟にスタープラチナを呼び出して娘の洋服を掴む。
背中であれば手が届いていないことも気付かないだろうと思っていたのだが、スタンドを消すより早く徐倫がこちらを振り向いた。
「ダディ、いまのはだぁれ?」
「誰…だと…?」
「ダディのよこにね、じょりんをたすけようとしてくれたひとがいたでしょ?」
緑色で髪の毛が長くて、と興奮したように話す娘を抱え上げて、また転ばないように肩車をする。
高いと喜ぶ徐倫はもう先程の出来事よりも、新しい景色に夢中のようだけれど。
「…どうだかな」
スタンドの発現は遺伝によっても起こるという事が最近の研究で分かっていたので、徐倫にスタープラチナが見えてもおかしくはない。
しかし、どこかでそうでなければいいとも思う。
娘には自分と同じような面倒ごとに巻き込まれないで、平凡な人生を送って欲しいものだと思うが…こればかりは皆目見当もつかなかった。
「ばいばーい」
突然徐倫が何かに向かって手を振り出したので、一体何事かとそちらを見れば、ひらひらと舞うように真っ白な蝶が飛んでいた。
「蝶か」
こんな季節に珍しいと思いつつそれを見つめていたのだが、ひらひらと俺と徐倫の周囲を何度か飛びまわったのち、そいつは空高く羽ばたいていった。

「…空が青いな…」

蝶の白色はいつの間にか消えて、視界一面が貫けるような青で染まる。
それは肩の重みに幸せを感じる一方で、どこか欠けてしまった心に沁みいるような、澄んだ深い青だった。

End.



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