自己完結型タブー(2)
翌朝、僕が目を覚ました時にも彼の姿はなかった。
そのうち帰ってくるだろうと彼を待っていたはずが、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
寝乱れた様子のないベッドの様子からして、戻ってきていないことは明白だった。
承太郎の事だから、一人でどこかに出掛けてしまうということは考えにくい。
となると、ポルナレフ達の所にでも行ったのだろうか。
「連絡してみようかな」
観光旅行ならいざ知らず、単独行動の危険さは身にしみている。
電話機へ手を伸ばしたところで、結局シャワーも浴びずに眠ってしまっていたことに今更気付いた。
…どうりで顔がカピカピになっている訳だと一人で納得して、不意に昨日の事を思い出す。
僕を好きだと言った承太郎の視線を思い出すだけで、胸が締め付けられるように痛む。
「身支度が先、だな」
ここで考え込んでたところで、事態は何も変わらない。
もう考えるまいと学生服の上着を脱ぎ、少し乱暴な手つきでベッドへ投げた。
準備しておいたタオルと替えの下着。
そしてジョースターさんに『洗濯をしている暇はない』と少々贅沢な理由で買ってもらったシャツを抱えて、薄暗いシャワールームへ入った。
体の隅々まで洗ったところで、綺麗になるわけじゃない。
頭から冷たい水を浴びたところで、冷静さが戻るわけでもない。
それでも薄暗い室内に響く水音は、もやもやとした感情を増幅させていく。
そこまでゆっくりできるほど早起きしたという訳でもないので、いい加減修行僧のような真似はやめることにして簡単に身支度を整えた。
新品の糊の利いたシャツに袖を通せば、先ほどまでの落ち込んでいた気分もいくらか和らぐ。
長々と使用していた割には冷えたバスルームを後にすれば、やはりそこに承太郎の姿はなくて。
「おや?」
ベッド脇に置かれていたはずの彼の荷物だけが見当たらないので、どうやら僕がシャワーを浴びているうちに一度は戻ってきたようだ。
それならそうと、一声くらいかけてくれてもいいのに…まぁ昨日の事もあるし、気まずく思っているのかもしれない。
あまり気にしないようにしようと思いながら、先ほど脱いだ上着を探すけれど。
「確か、ベッドの上に脱いだはずだけど…」
動かした目線の先に、見慣れた衣服があるのに気付く。
けれど脱ぎ捨てるようにベッドに投げたはずの上着は、綺麗に畳まれてベッド脇の椅子の上に置かれていた。
「承太郎…しかいない、か」
しかし何故?と首をかしげながら学生服を広げれば、袖口のところにうっすらと埃が付いている。
─…ははあ、読めたぞ。
恐らくあの後、乱雑に投げられた服はその重さもあってベッドからずり落ちた。
それを荷物を取りに来た承太郎が拾って、ご丁寧に畳んでくれたというところだろうか。
適当に投げておいてくれても構わないのにと思う傍ら、決して育ちの悪くない彼なりの気遣いに嬉しくなる。
「本当に、君って奴は」
のんびりしすぎたせいで、どうやら電話をするよりも直接ロビーに行ったほうが早そうだ。
優しすぎる彼もきっとそこにいるはずなので、一言お礼を言わなければなんて考えていた。
…その時は。
早いもので、あの日から数日たった今。
僕はまだ『ありがとう』の一言すら、彼に言えていないままだった。
いつもなら移動中は内容などあってないような下らない馬鹿話をはじめ、他愛もない雑談に花を咲かせることもあった。
何事もなければ大抵はライセンスを持っている年長者三人がハンドルを握るのが常だったので、暇な若者は後ろで暫しの休息を取るという訳だ。
けれどあの日以来、承太郎が僕に話しかけてくることはなくなった。
例外として例えば僕が他の─例えばポルナレフを会話をしていて、ポルナレフが急に承太郎に話を振るような場合を除いて、僕は彼の声を聞く機会を持たなかった。
それどころかあの射抜かれるような視線で見つめられた日を最後に、視線すら合わせていないように思う。
避けられているのではなく…接点を僅かずつ、ずらされてしまったような奇妙な違和感があった。
しかしポルナレフ達は時に気付いていないようだったので、別段問題として取り上げることでもないと自分に言い聞かせた。
受け入れられないと言ったのは僕で、拒絶したのも僕だ。
彼からしたら自分の好意を切り捨てられたようなものなのだ、こうなって当然ではないのか。
それに、彼も僕も子供じゃない。
いざ敵が現れたときに、意地を張るような年齢でもない。
時間が経てばまた、あんな会話も出来るようになるさと頭では分かっているつもりなのに…何故だか鼻の奥が痛んだ。
そんな日がまた幾日か過ぎるうち、彼と同室になる機会があった。
たまたまシングルの部屋が三室しか空いていないということで、一部屋はツインにせざるを得なかったのだけれど。
「お前ら一緒の部屋でいいよな?」
「また…勝手に決めるな、ポルナレフ」
「年長者に譲るモンだろ?なあアヴドゥルー?」
なんやかやとここまで話を広げられてしまっては、頑なに拒絶するほうがかえって怪しまれる。
そう判断した僕は、おとなしくポルナレフからツインの鍵を受け取ったのだけれど。
「わ…驚いた、ぶつかるかと思いましたよ」
いつの間にかすぐ傍に立っていたジョースターさんに、こっそりと耳打ちをされる。
それに笑いながら大丈夫ですと答えたあと、ちらりと承太郎の方を見た。
「…それじゃあ承太郎、ガクセー二人はさっさと部屋に引き上げますか」
冗談めかした僕の言葉に承太郎の返事はなかったが、代わりにポルナレフが噴き出したのが聞こえた。
そのまま振り返ることもなく、歩みを止めぬままドアに記されたナンバー達を次々と目で追う。
僕が部屋を探している間中、承太郎は口を開くことはなく無言でただ後ろをついてきた。
今まで承太郎の沈黙が重いと思ったことはないし、彼の性格も分かっているつもりではあったが…どうにもばつが悪い。
「ああ、ここみたいだ」
ほらと鍵を開けて、ドアマンよろしく彼に先に部屋へ入るよう促せば、すいと彼は中に入るや否や来た道を戻ろうとした。
「どこへ行く気だい?」
ちらりと部屋の中を見れば、どうやら荷物だけ放って出て行こうということらしい。
そうはさせじと彼の学ランの袖を掴んで引き寄せれば、多少の抵抗はあったものの何とかドアの内側に入ることが出来た。
「何故出て行くのか、理由を聞かせてくれないか」
少し高いところにある彼の顔から、目を逸らすことなく尋ねる。
「理由…だと?」
「ああ。まさかとは思うが君、気まずいなんて理由で僕に気を遣っているとしたら、そんな無意味な事はやめてくれ」
「…フ、ッ…無意味、か」
ダン!とドアに承太郎の腕が叩きつけられる。
それも両腕でやるものだから、顔をどちらに向けても承太郎の腕とご対面する羽目になってしまった。
いや、よく考えれば僕の顔に叩きつけられなかっただけ有り難いのかもしれない。
もしこの拳を外して凹んでいたら…いや、僕の顔に置き換えて想像するのはよそう。
「気を遣わなくて良いっていうなら、その通りにしてやろうか」
「承太郎?」
「俺がいてもいいってのは正気か?」
僕に覆いかぶさるようにして顔を近づけてきた承太郎の顔は、ふざけている様子もなく至って真面目なそれで。
「申し訳ないが、僕には君が何を言っているんだかよく分からないんだが…」
「…テメー…」
チッと舌打ちひとつすると、承太郎は僕の垂れた前髪に唇を這わせてきた。
彼の真意も分からず、そのまま身動きせず彼を見ていた僕に、承太郎は心底呆れたような表情のまま口を開いた。
「ヤローに告白されたっていうのに拒絶しねーお人よしが、今度は何を言い出すかわかりゃしねえからな」
「何を言い出すか、だって?」
「嫌なら最初から嫌だって言え…中途半端に許すな」
とまらなくなる…と言いながら、承太郎は僕の顎に手をかけて上向かせた。
段々と彼の顔が近付けられて、ぼんやりとキスされるのかななんて思っていたのだが。
「…こういうことだ」
許すな、と。
苦しそうに眉根を寄せる彼を見て、ようやく僕は何かがおかしいと気付き始めた。
「承太郎、ちょっと話をしよう」
「必要ねえ」
「いくら君が嫌だと言ってもドアは僕の後ろにある。それより承太郎、君に見て欲しい」
僕は素早くボタンを外すと、学生服の上着を脱いで床に放り投げた。
勢いもそのままに、カッターシャツの前も肌蹴て素肌を外気に晒した。
「どういうつもりだ」
彼にしては珍しく、短い言葉の端々から動揺が伝わってくる。
手を伸ばせば簡単に届く距離にいた彼の肩に手を乗せて、そのまま抱き寄せた。
「今、この肌には染みも汚れもない。多少汗はかいているかもしれないし、傷もついたかもしれないけれど…でも数ヶ月前は違った」
言葉が震えるのはお互い様だ。
力なく下ろされていた承太郎の手をとり、自分の胸元へ這わせる。
そのまま掌を、煩いほどに高鳴っている心臓の上へと被せれば少しは落ち着いて話が出来るような気がした。
「僕は君が好きだ。でも、僕は君が思っているような人間じゃない」
「…どういう事だ?」
「僕は男というものを知っているんだ、DIOという男を」
埃と古い蔵書の匂いに包まれながら、毎晩のように狂った饗宴は行われた。
今思い返せば男女を問わず、館には多くの人間がいたように思う。
『彼』が自分の傍へ来てくれることを必死で請い、甘い声と淫らな痴態でどうにか彼をその気にさせようと必死だった。
当然僕もその一人で、『彼』が自分を手招いた時は優越感すら感じたものだ。
足を組んで椅子に座る彼の靴を脱がせ、足先にキスをして、その指に舌を這わせる。
ぐいと綺麗に並んだ爪ごと喉の奥に押し込められて、苦しさから視界が涙で揺らぐけれど。
「DIO…様…」
ぼやけた世界ですら、彼の美しさを引き立てるものでしかなかった。
まるでギリシャの彫刻のように腰に巻かれた絹のドレープが蝋燭の明かりに照らされて…その艶かしさに眩暈がする。
そのうち伸びてきた手に誘われるまま、赤く濡れた唇と重なる。
ぬるりとした舌は僕の口腔を思う存分蹂躙したあと、頬や首筋を経て耳朶へと辿りつく。
一瞬の痛みの後、首筋を流れる生暖かい感触に、そこへ歯を立てられたのだと知る。
ちゅる、と淫靡な水音が、直に耳へ注ぎ込まれるようで。
せつなさに身をよじりながら、僕も『彼』に手を伸ばした。
『彼』が僕にそうしてくれるように、拙い動きで『彼』を刺激していく。
それは手から唇になり、すぐに口腔全体を使ったものになり…そして。
「僕は君に好かれていい立場じゃなんだよ、承太郎」
思い出しただけで寒気がするけれど、あの時の僕は確かに幸福を感じていた。
DIOの指が触れるだけで電撃のような快感が体中を駆け抜けて、撫ぜられただけで絶頂してしまいそうになることもあった。
あれは異常だったのだと今なら分かるけれど、だからと言って全て無かったことにはできない。
「そんなこと、なんでお前が決める」
「承太郎!君だ、って─…」
続く言葉ごと、彼の唇に飲み込まれる。
呼吸すら出来ないほどの激しい接吻から逃れようと彼の胸を押しやろうとするけれど、物凄い力で拘束されているせいでそれも叶わない。
酸素不足とオーバーヒート、どちらが原因かは定かでないが、僕の頭に薄ぼんやりと靄がかかり始めたころ。
「─ぷ、はッ…!」
どのくらいそうしていたのかは分からないが、ようやく開放されたと思ったらまたすぐに厚い唇に塞がれる。
そんなことを何度も繰り返して、僕の息がすっかりあがってしまった時分になってようやく彼に開放された。
「つまりだ、テメーは俺が好きだってことだな」
まるで恋人にするように、顔中にキスの雨を降らせようとする承太郎の頭を渾身の力でもって押しのける。
そのままどうにか、彼の腕の中から逃れようとするけれど。
「僕は君に好いて貰えるほど価値のある相手じゃあないと言ったのは無視かい?君の周りにはいつだって、可愛い女の子が沢山いるじゃないか」
「それについては却下だ。俺の事は俺が決める」
その答えに憤怒するより早く、承太郎らしいと思ってしまった自分が恨めしい。
「ぼ、くの話を聞いていたのか?!」
話の途中だと言うのに、突然僕の股間に暖かい掌が触れて…その驚きから一瞬息を呑む。
「聞いてたが…話じゃ大層なこと言ってやがったが、全然慣れちゃいねえじゃねぇか」
そらみろとばかりに口元を吊り上げる彼の表情は、いつもよりずっと幼く見えて。
ふと、いつも冷静だと思っていた承太郎が自分と同年代だったのだと認識する。
それでも諾と答えるには喉奥狭く、とても言葉が唇から出て行くことは難しそうに思えた。
「テメーの持論だかしらねぇが…どっちかが初めてじゃなきゃいけねぇってんなら、俺がそうなら文句ねえだろ」
「嘘だ。君、あんなにもてていたじゃあないか」
「それこそ勝手な思い込みだ」
耳朶のピアスを軽く引っ張りながら、承太郎はまだ降参しないのかとばかりに無言で僕を責める。
「大体…可愛い女だのもててるだの、テメーの言い訳は嫉妬にしか聞こえねー」
苦しいほど力強く抱きしめられて、俺が好きかと耳元で告げられる。
圧迫されて苦しいのか、答えることが苦しいのか分からない。
しばらくその体勢のまま押し黙っていると、彼は畳み掛けるように「俺は好きだぜ」と囁いてきて。
愛おしげに僕の名を呼ぶ彼に、これ以上意地を張り続けることは出来なかった。
「で。返事はどうなったんだ」
「きッ…、少しはムードとか、今どんな状況か考えてから言ってくれないかい?」
「やれやれ、今度は我侭とは…随分いいご身分じゃねえか」
どうやら承太郎は、旅が終わるまでは性的な交渉はしないと断言した僕にいささかご立腹なようだ。
僕はといえば、こうして同じベッドでごろ寝するのもなかなかにいいものだと思ったのだが。
「承太郎は落ち着かないと言うか、気恥ずかしくなったりしないのかい?」
「とっくに終わった」
「なんだい、その倦怠期みたいな答えは」
思いも寄らない彼の答えに、浮き足立っていた僕の気分も急速に萎んでいく。
しかしそれも、伸ばされてきた彼の腕に捕まるまでの短い間でしかなかったけれど。
「そういやさっき、ジジイに何を言われてたんだ」
「え?ああ、承太郎とケンカでもしてるのかって。嫌なら部屋を交換するかって言われたよ」
なんだかんだと良く周りのことに気を配ってくれて、ジョースターさんは本当に良い人だと思う。
ただ、ここでそんな発言をしようものなら真正面にいる彼が煩そうなので黙っておくことにした。
「そう言えば僕も、君にお礼を言いたかったんだ」
「礼?」
学生服を畳んでくれただろうと尋ねれば、忘れたなんて返事が返ってくるけれど。
「なら、お礼はいらないか」
「俺が畳んだ」
「…最近、しばしば君の性格ってやつがよく分からなくなるよ」
冷静で大人びていると思えば、歳相応に笑ったり怒ったり…でも、どれも承太郎であることに間違いはない。
むしろ、色々な彼の一面を知るたびにより惹かれていくような気がした。
「誰かさんが好きだの嫌だの、散々振り回してくれたからな」
「その言い方だと僕が悪い男みたいじゃないか」
「違ぇねえ」
くつくつと笑う彼の帽子に手をかけて、そっとその下にある双眸を覗き込む。
「君が好きだ、承太郎」
「ようやく言ったな…撤回はさせねえぜ」
覚悟しろと告げた彼の口元は笑っていて、つられて僕の顔も綻ぶ。
甘えるように彼に擦り寄って学ランに顔を埋めれば他の誰でもない彼の匂いがして、それがとても嬉しくて。
「ありがとう、承太郎」
不意に目尻に浮かんだ水滴は、雫になる間もなく優しい唇に吸い取られたのだった。
End.